「春の光は此の行きに枉じ」の茶道の意蕴

投稿者 :书道okakejiku on

「春の光は此の行きに枉じ」は、日本の茶室に掛けられる額の言葉としてよく見られる言葉の一つである。この言葉は、明代の文人張岱の「西湖夜遊観」の詞の一節「春の光は美しく限りがない、この旅は決して虚しくはない」から取られている。この詞は、張岱が杭州の西湖を訪れた感動を描いたもので、この旅で見た春の光景は無限の美しさで、決して無駄ではなかったと述べている。


日本の茶道において、「春の光は此の行きに枉じ」には独特の意味がある。春は万物が蘇り、大地に生命力が満ちる季節で、茶道が目指す内なる悟りの境地と通じ合う。額のこの一句は、自然への賛嘆の情を表している。茶室に訪れた人は、この言葉を見てたちまち心が高まり、まるで自分自身が西湖の景色を体感したかのようになる。


もう一つの意味は、茶室を訪れたことが決して無駄ではない、ということだ。茶を飲むだけでなく、茶道を通じて人生の真理に気づくことができる。参加者はみな熱心にこの機会を大切にしている。だから、「春の光は此の行きに枉じ」は、始まろうとしている茶会が霊感に満ちた、精神が高揚する体験になることを示唆している。


さらに、「行き」には人生の旅の意味もある。人生と茶道、茶会ごとに小さな人生の旅があり、その時々の心境が参加者に記憶される。額は、長短を問わず人生の旅は、謙虚な心と期待を持っていれば、必ず特別な「春の光」がもたらされるということを思い起こさせてくれる。


「春の光は此の行きに枉じ」は、日本の茶道界で長らく標準的な額の言葉として愛され、格式のある茶室にはほぼ必須の言葉と見なされていた。文字通りと隠喩の意味が合わさったこの言葉は、参加者の心の在り方を高めてくれる。美味しい茶菓子を楽しみながら、茶道という芸術を通じて人生の美しさに触れ、茶会は忘れられない人生の春の光となる。


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