掛け軸の歴史: (10) 戦後~高度経済成長期 | 活気を取り戻した日本美術

投稿者 :翁志刚 on

戦後の美術は、まず戦前から活躍していた作家達を中心にして再スタートを切る。戦争体験をどのようにとらえるかを大きな問題として出発した。その後、世界の美術の中心となったアメリアで生まれた様々な表現方法が日本にもたらされ、美術の境界はあいまいになり美術表現は多様化していった。1970年(昭和45年)に大阪で開催された万国博覧会は数多くの美術家、建築家、デザイナーが参加した一大イベントであり、戦後に登場した実験的な美術が大きな位置を占め、再び日本の美術に活気が戻ってきた。

日本画では1974年(昭和49年)、創造美術を前身とする新制作協会日本画部が独立して、創画会が結成された。こうして日本画界は、東山魁夷、杉山寧、高山辰雄らの日展、奥村土牛、小倉遊亀、平山郁夫らの院展、上村松篁、山本丘人、加山又造らの創画会に大きく三分される事となる。

戦後の復興~経済成長に伴い空前のマイホームブームが日本で起こる。これにより床の間付の和室を持つ家庭が急増し、掛軸の需要が一気に高まる。需要に応じて様々な画題が考えられるようになり掛軸絵画の技法や表現もピークを迎える。

 

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